昭和44年07月03日  夜の御理解



  不都合不行き届きをお詫びを申し上げる、「不都合不行き届きのところをどうぞお許し下さい」といったような御祈念を、御祈念の中に申しますが、不都合不行き届きというのは、神様の前に不都合不行き届きというのは、人情人間心でする事が不都合不行き届きの元になると、沢山ありましょうけれどもその元になると仰るんですから、どこまでも一つ人間心例えば今日の昼の御理解から頂きましてもそうですし、今あのう熊谷さんの話しを頂きますと、吉井の方のやっぱりご信者さんで。
 あのう亡くなられた方が丁度、あの大水の吉井の大水の入る前の日がお葬式の日だったけれど、友引だったからあぁ延ばされたために、あの大水で却って困られたという話しをなさっておりましたが、こういうのなんかは知っておって、金光様の御信心さして頂いておって、そのそういうような事になる事は、不都合不行き届きという事なのです、その不都合不行き届きだから、神様の機感に叶わんから、そりゃ却ってそういうような、お気付けを頂かれるのだという風に思うですね。
 人間心「友引だから」と言うてそのう人間心と、信心さして頂いてたらそういう事のあろうはずはない時にそういう。そういう事が不都合不行き届きの元になるとおっしゃるのですから、不都合不行き届きの元にならないっちいう事は、大変な事かと言うとそうではなくて、いわゆる神乍らな生き方をするということですからね、私はみやすい事だと思うんですけどね。
      どうぞ。